昭和48年4月10日 朝の御理解
御理解 第47節
「祈れ薬れにすればおかげも早いが、薬れ祈れにするからおかげにならぬ。」
これは信心を先にする、いつも信心が先行しておる。そういう信心でなからなければいけないと言う事だと思う。これは病気のときに薬を飲むとか、飲まないとか、医者にかかるとかかからないとかと、言った様なことから御教え下さっているのですけれども、これは病気であろうが、どんな事情であろうが理屈は同じです。ですからこれは、いつも祈れと言う事が先だと。
いわゆる一にも神様、二にも神様、三にも神様、もう神様神様という生き方。例えば毎日お参りが出来ておるから、必ずしも神様中心にしておるとは言えない人も沢山有ります。この四十七節にある御理解の、云うならその芯が分かる。それはいわゆる最後に薬れ祈れにするからおかげにならぬとこう仰る。おかげにならんともう断言しておられる。それはお参りをして、只お願いをした。この事がおかげになったと言う様なおかげなら、どんなに先ず自分の都合で信心してもよいですけれども、自分という者が中心。
けれどもこれは神様を中心にした信心をせよというのです。ですから私共が一にも神様、二にも神様、三にも神様と言う様な生き方でやらせて頂くと言う事は、神様を中心にした生き方ですから、神様が又私共氏子を中心にしたおかげを下さる。ですからこれには非常にその迫力というかねえ、元気な心というのが要るのです。まあそういう生き方をしておる方のお話を今日は致しましょう。
先日高橋さんところの謝恩祭がございました。その二、三日後でしたでしょうか、高橋さんがここでお届けされますのに、丁度その日近所に田原さんと云う有名な家具屋さんがあります。有名な家具屋さんというより有名な御信者さんと言ったがいいでしょう。甘木の初代の時分に信心をされて、そしてもう当時は大変な難儀な中に、もうそれこそ甘木の親先生にお金を御無理を言うて十円貸して下さいとその時分の十円ですから大きいでしょうがねえ。と、言わねばならない程しの時代であった。
その大きな家具屋さんをなさっておられますが、高橋さんが「あそこへ行っても、それは立派な大きな素晴らしいお店ですけれども、そうお客さんが有りよる風じゃないけれども、儲け出しよんなさる事だけはばさらか。」と言う様なお話からでしたけれども、丁度こちらから自動車でみんな行きますから、自動車の駐車場がない。それであそこの駐車場をお願いして借りてあった。もうすぐその近所なんです。
それでまあ、御礼の品物どん持ってから御礼に行かれた。ちょうど田原さんのお母さんがお店におられましてから「高橋さん、ああたは合楽では有名な信者さんですげなね。」と、言う様な話から「ひとつ、高橋さん、折角金光様の御信心をさせて頂きますから、金光大神、いわゆる金光教の御比礼の為にうんと儲け出そうじゃありませんか。」と、言われたそうです。
もう自分の田原の為に儲け出すのじゃない。もう金光教という教団の為に儲け出すのだ。御比礼の為に儲け出すのだと、観点が違うです。先日からも創価学会の人がもう十人、十五人とその徒党を組んでやって來る。初めの間はいい加減に聞きよんなさったけれども、まあ二階に上がって下さいというて一番よい座敷に通された。そこに神様が奉祭してある。そして話を聞くだけ聞かれてですね「あなた方がね、私げぐらいに一人一人の方が儲け出してから來なさらなければ、私げは創価学会にはなりませんよ。
もうああたどんがごと貧乏たらしい格好をして来て、私どんがごと金光教でおかげ頂いとる者の所へ来たっちゃ創価学会になる筈はないじゃないですか。」ともうそれっきりで来んごとなったという話をされたそうです。いわゆる弱みに付け込んで、例えば魔がさすというか、弱みに付け込んでいろんな難儀な問題はやって來るものです。けれどもこう言う様な勢いを持っておる所に、私はそう言う事はないと思うです。
お互いひとつ本気でね、教祖金光大神の御信心を頂いて、金光教の為に、まあみなさんで云うなら、まずそんなら合楽の信者でございますと言える為にいっちょ儲け出そうじゃないですか。と、言う事にならにゃいかんです。私は今度の御本部参拝で教祖の奥城で、今度御本部参拝で頂いた土産を帰って信者に伝えなければならない。どう言う事を伝えさせて頂こうかと思うたら、「口を入れる」とこう頂いた。
帰ってみんなにお話をするなら、口を入れると、それは叺(かます)と言う事になる。米叺にもなれば、銭叺にもなる様な、いわゆるおかげの受け物を作らせよと言う事以外にない。今そんなら合楽で言われておることは、おかげの受け物を作らせて頂くと言う事。それを又願うと言う事に尽きておる訳です。私は御本部から帰りました晩に驚きましたことは、お供えが来ている。それはここには大黒様が沢山集まって来ますねえ。今度のは恵比寿様と大黒様が大きな床飾りにしてよい様なのがお供えに来ている。
それが何とね、大黒様が銭叺をこうやって広げてござる。それを恵比寿様が上から大きなしょうけですくうてから入れよんなさる。大判小判を私はその晩の御祈念に申しました。これを頂いただけでも、神様がいかに合楽におかげを下さろうとしておることが分かろうが。御本部で私が頂いたのも、やはりおかげを受ける米叺であったり、銭叺であると云う話を皆さんも頂かれた様に、そしたら晩にはそういう様な銭叺をこう開けてから恵比寿さんがざるにすくうてから銭叺に入れよんなさるという。
大黒さんと恵比寿さんのおかげを頂いた。もう合楽で儲け出しきらんなら、合楽でお金を残しきらんなら、これはおかしいと先ずお互いが思わにゃいけん。合楽の先生はもう大黒様の様で、それこそ打ちでの小槌を持っておられるからどれだけの、いわばおかげさえ頂けばこれを受け止めれるおかげさえ頂けば、受け止められるのに受け止めきらんなら、これはおかしいと先ず自分自身が思わにゃいけん。
そして田原さんじゃないですけれどもです、合楽の御比礼の為にでも、ひとつ儲け出そうじゃないですかと、お互いの合言葉になる様にならにゃいけん。その為には、そんならどういう信心をさせて貰うかというと、只毎日お参りしよりますと言う様な事じゃつまらん。いわゆる何処も神様が中心でなからにゃ、祈れ薬れにならなければ。祈れ薬れを今日私はね、いわゆる一にも神様、二にも神様、三にも神様、先ず神様がいつも中心であるという信心でなからにゃいけん。
自分の都合どもいうておる様なことではおかげにはならん。今日は体がきつかけん御無礼をする。今月は都合のあるけんお参りせん。もうまるきり神様の為参って来よるごたる。自分の為じゃないか、さあそこんちったきつかとこを押して押し上げて行くことが信心ぞと云う様な信心なんです。これは、だから私が言うたからじゃ出来ん。皆さんがその気にならなければ出来るこつじゃなか。
私が北京から帰らせて頂いて、たまたま田原さんの話を聞いた。当時田原さんと言うことは知らなかった。福岡の千代町と言う所に有名な家具屋さんが有って、御本部に月に二回づつ参りなさる信者さんがおりなさるげな、福岡から毎日毎日甘木の教会にお日参りをなさるげな。そら初めの間は大変難儀じゃったげなけれど、大変なおかげを頂いて、甘木の親先生が「田原さん、お金が要るばい。」
と言われたら、何時でもこの全財産にのし付けて甘木の親先生の前に差し出される程しのおかげを頂いておるという御信者さんの話を聞いた。それがたまたま田原さんの事であった。月には二回御本部参拝、参りゃおかげ頂くけん位のこつじゃなか。参らにゃおられんのである。勿論月参りが、月参りというより十五日参り。御本部へ月に二回づつ参りなさる。そして甘木の親教会には福岡から毎日日参りがある。そして御用というたら、それこそ神様の御用なら何をおいてでもというのが、田原さんの精神。
まあだ、その当時願っても願っても、おかげにならないという時代が、おありになっただろう。その時分夜十時を過ぎて、お店を締められると、東公園ですね、箱崎の方からちょうど一里有るそうです。こう回ってみえるのに、そこを生神金光大神 天地金乃神様と大祓をあげたりしながら回ってみえて、そしてからしか、やすみなさらんという話を聞いて、私はその話を聞いた時から、十時の御祈念を終らせて頂いてから、外で御祈念をさせて頂きました。
当時福岡の姪の浜のちょっと手前におりました。あそこへ山の手に愛宕山に夜中に登って大祓十巻上げてそして帰って來る。これはもう、いうならつう一杯の信心をさせて頂いてからです。勿論朝の御祈念は当時福岡の教会にお参りさせて頂いた。もう本当に信心生活ちゃ、あの時分のことじゃろうと思われる位一生懸命。そして夜、店の方達があの時分に三人居りましたから、四人で御祈念終らせていた頂いてみんなが休む。それから私は愛宕山に登らせて頂いた。
これは椛目に帰ってからでも、必ず夜の御祈念を終ると外へ出て一時間余り御祈念をしてそれから帰って來る。これは田原さんの話を聞かせて頂いてですねえ、真似でもさせて頂こうと、いう時代でしたから、そういう私は信心修行からです、一にも神様、二にも神様、三にも神様という神様を中心にした、信心がだんだん出来る様になったんだと思います。今日四十七節からそういう私は、祈れ薬れにすればおかげも早いが、薬れ祈れにするからおかげにならぬ。
成程信心は続けておるけれども、まあだ神様が中心じゃない。いよいよの時になると自分がいつも中心。神様中心の信心をすれば神様も又私共中心になって下さる。いわゆる氏子が神様任せなら、神様が氏子任せになると仰せられますからと仰るように、只この事をお願いせんならんけん参ると言った様な信心と言う様なものから脱却してしまった。本当の信心、一にも神様、二にも神様、三にも神様もう絶対のおかげでしょうね。それこそあれよあれよと言う様なおかげの力と言う様なものは。
そういう信心からしか生まれて参りません。合楽に御神縁を頂いて居る者がです、合楽の御比礼の為にひとつ儲け出そうじゃないですかと言う様な在り方、その為にはそんならどげな信心したらよいだろうかと言う事が、共励の話題にもなるでしょう。そして成程あの人がおかげ頂きよんなさる、あの人の真似でもさせて貰おうと言った様な元気な心が生まれて來ると思うです。元気な心なしには信心は出来ません。自分を中心にした信心位の事では結局そん時そん時に頂くおかげ位の事。
高橋さんが御礼に行かれてそのお届けをここでされた。そして事務所もちょっと見たところが、電話の早見表ですか、一番初めに甘木教会何番とちゃんと書いてある。もうこれを見ただけでね、もういかに神様が第一主義であるかと言う事が分かるというておられます。どうでしょう、皆さんのところの電話の名簿には一番口に合楽教会何番と書いてあるでしょうか。これはもう、その事だけではありません。一事が万事にもうそうなんです。だから又神様が田原さんの為に働きなさると言う事になるのです。
いいえ、電話番号はもう覚えとるけんでというて、そんなら今度はちょいと合楽教会に電話掛けて下さいと知らん人にいう時はどげんなりますか。もうとにかく、一番上に甘木教会電話何番と書いてある。これを見ただけでも、成程田原さんの信心を感ずることが出来るという意味の事を、その時に話しておられました。高橋さんいっちょお互いどうでもこうでも、折角金光様の信心頂くのですから、金光教の御比礼の為に儲け出そうじゃないですかと言われた。今日はその事を皆さんひとつ肝に命じてです、真似でもさせて頂いてそういう信心に、おかげにあやからして頂きたいと思うですね。
どうぞ。